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生活の必需品から民芸品へ 手仕事が紡ぐ「用の美」
その見た目から饅頭(万寿)笠とも呼ばれる。手に取って驚くのは、まず軽さ。そして、らせん状の細やかな糸目の美しさである。被ると、大きく日よけができ、かつ涼しい。しかも晴雨兼用というから昔人の知恵には感服する。この笠は、3種類の竹を使い分ける。ヒゴは土用竹。割竹は真竹で10月に伐採する。虫がつかず、ほどよい粘りがあるのだ。竹の子の皮は6月に落ちたものを拾い乾燥させる。作業は、まずヒゴなどの材料作りから始まる。次に笠のてっぺんにつける舞を作る。裏地を張り、0.5mmほどのヒゴを竹の子の皮に縫いつけていく。編むのではない。ほぼ2cm間隔で縫うのだ。気の遠くなる作業が続く。一つの笠が出来上がるには最低一か月。笠は軽い。しかし作り手の技や思いの深さをずしりと感じられる美しい笠である。
竹の子笠の歴史
竹の子笠は芸西村和食地区に江戸時代以前より伝わる特産品である。大正末期には120軒ほどが従事していた。漁師たちが海が荒れた時などに作業をし販売。これが唯一の現金収入であった。しかし終戦後、東南アジアから安い帽子が輸入され、急速に廃れていく。そんな中、現在、唯一の作り手である宮崎直子さんの両親だけは笠作りを続けた。昭和42年頃民芸ブームが起こり全国から竹の子笠が注目される。平成元年、芸西村伝承館の設立に伴い、村から直子さんに笠作りと伝承を依頼。現在、継承するとともに週1回、教室を開催している。
芸西村の特産品を守り続ける
竹の子笠の作業場は芸西村伝承館にある。その壁に「水戸黄門愛用の笠」というタイトルと写真が飾られていた。テレビで水戸黄門(石坂浩二さん)が被る笠が、竹の子笠だと疑い、京都まで行って確かめたと言う。使い勝手がよく、きめ細やかで美しい笠は、まさに殿様の道具にふさわしい。この竹の子笠を作りながら教室を開催しているのが宮崎直子さん。きっかけは、伝承館の設立に伴い笠作りを依頼されたこと。「両親がしていた時は、嫌だったのよ」と笑いながら、竹を割る姿は85歳には見えない。さらに驚いたのは、笠を縫う際に、針に糸を一瞬で入れたことだ。 凛々しい姿に「はちきんですね」と言うと、「うふふ、私、はちきんなのよ」と微笑んだ。
直径42mmで重さは約250gと軽い。
花がらの裏地もかわいらしい。
宮崎 直子さん
竹の子笠作りは、たくさんの工程があるうえに根気がいるため、やはり好きでなければ続きません。現在、後継者はおりませんが、元気な限りは続けたいと思っています。
連絡先・販売場所 芸西村伝承館
安芸郡芸西村和食甲4537番イ
Tel.0887-33-2188
ヒゴづくりの様子。4mmにした竹を、 竹の子の皮にヒゴを通す様子。
11個の小さな穴に順番に通しながら0.5mmほどにする。 洋裁をしていた宮崎さんの手仕事の細やかさが伝わる。