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市場の沿革
市場の起こり
高知市における食品市場の起源は、古く慶長年間 (西暦1596から1615年) の江戸藩政時代に遡る。当時土佐藩は城下に入る食料品、その他すべての売買取引を納屋堀 (現在の南はりまや町辺り) で許可し、問屋営業が行われていた。
明治維新後、廃藩置県で雑喉場役場が廃止され、魚類市場は自由市場となり、各地に新たな市場が相次いで新設されたが、市場の乱立により、荷の争奪、市場商人の買収、支払いの不履行などの問題が発生した。
このため、高知県は明治41(西暦1908)年に食品市場取締規制を改正して市場の統一に乗り出し、翌42年に九反田地区へ魚市場、大正4年に青果市場をそれぞれ統一した。
中央卸売市場の開設に向けて
大正12年に中央卸売市場法が公布され、高知市も昭和4年12月に高知市中央卸売場の開設が認可された。
翌昭和5年1月九反田市場の敷地に、京都市 (昭和2年開設) に次いで全国で2番目の中央卸売市場を開場した。
開場当時は鮮魚部のみをもって発足したが、翌年の昭和6年に青果部、8年には塩干魚部が新設された。
戦中戦後を経て、市場の移転へ
高知市は無論、高知県における食品流通の中核基地として、その機能を果たしてきたが、その後の急激な経済の発展により、市場が手狭になったため、昭和42年に現在の弘化台地区に新市場を設置し全面移転した。
さらなる拡大へ
移転後も市場の取扱量の伸びや輸送の大型化による市場の狭隘化、施設の老朽化が問題となったため、これらの対策として、昭和54年に立体駐車場、昭和60年に固定桟橋駐車場、平成元年には関連店舗棟及び屋上駐車場の建設等の施設整備を実施してきた。
さらに市場機能の拡充や市場内業者の強化育成を図るため、平成8年に第6次整備計画、同13年に第7次整備計画を策定し、平成9年より増改築を含めた新たな施設整備を進め、平成18年2月に完成した。
高知市公設水産地方卸売市場の業務開始
平成24年度に,国の中央卸売市場再編基準に基づく協議の結果,高知市中央卸売市場水産物部の地方卸売市場への転換を決定し,平成26年3月28日付での高知県知事の開設認可を得て,同年3月31日に新たに高知市公設水産地方卸売市場として業務を開始した。