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市長コラム内和外順 2022年11月号
高知市広報「あかるいまち」より
むかしの三里
10月12日から19日までの間、三里地区の三里文化会館において、「むかしの三里写真展」が開催され、私の所にもその写真集が届きました。
「三里まちづくりの会」のご尽力によりまして、種崎や三里の興味深い造船の文化史や、浦戸湾の開発の歴史が綴(つづ)られた貴重な記録写真であり、興味深く見せていただきました。
江戸時代の安政6(1859)年2月には、「種崎船匠(ふねのたくみ)が江戸に洋帆船(ようはんせん)の製法(造船)を習いにいく」との記録があります。その2年後の文久元(1861)年には、早々と、「種崎造船所で西洋型帆船の曜霊船(ようれいせん)を建造した」とありますので、まさに土佐の造船の歴史は、この地で始まったことが実感できます。
ちなみに安政2(1855)年11月には、21歳の坂本龍馬が、仁井田の浜で西洋砲術の訓練に参加していますので、種崎・三里地区を龍馬は頻繁に訪れていたのだろうと想像することができます。
種崎の造船技術は木船から鉄船・鋼船へと引き継がれ、現在に至るまで、本県の造船産業の牽引(けんいん)役となっています。
さらに興味を引いたのは、三里の園芸の歴史です。今はビニールハウスが当たり前になっていますが、園芸農業の始まりは、大正10年頃ともいわれています。当時は油を引いた障子紙を苗にかぶせて、保温し、育苗することから、促成栽培が始まりました。
こうした先人たちの知恵に感嘆するとともに、グロリオサ栽培で有名な三里地区の園芸がこうして始まったことを知り、改めて先人に敬意を表します。
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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「市長コラム 内和外順」のコーナーを再掲したものです。