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文化財情報 有形文化財 中山高陽粉本
指定
高知市指定 有形文化財 指定年月日 昭和42年 5月13日
名称
中山高陽粉本
所在地・所有者
高知市民図書館
写真
中山高陽粉本
解説
総てで357点。そのうちわけは<巻物粉本>「白石翁雪景併詩」外6点、<大小粉本>「観音模写図」大幅外347点、<番外粉本>「賢聖障子写」巻物外1点である。
中山高陽は、1717(享保2)年高知城下堺町の富商阿波屋勝久の次男として生まれた。幼名を松之助といい、のち清右衛門と改めた。青年時代の高陽は、詩・書・画に精励したが、画は京都の画家で近世文人画の先達といわれる彭城[さかき]百川についたといわれ、同門に与謝蕪村があり、高陽より1歳年長であった。1758(宝暦8)年の暮、土佐を出て京都・大阪の名家と交わり、翌年江戸に下った。以来1780(安永9)年69歳で没するまで21年江戸に住んだが、当時の江戸は浮世絵の全盛期で、写生画が流行しはじめた頃であった。高陽はそうした江戸で独自の道を歩み、沈南頻[しんなんぴん]の写生画を学び、やがて中国の南画から北画をもあわせ、書画、詩文、論画に多彩な活動を展開した。折衷学派で詩人でもあった井上金峨、書家として名をなした沢田東江と親しく交わり、高陽の画を加えて三絶と称せられた。
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中山高陽粉本
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