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文化財情報 有形文化財 介良遺跡出土の木器・木製品、初期須恵器、破砕鏡(計10点)
指定
高知市指定 有形文化財 指定年月日 平成13年 8月15日
名称
介良遺跡出土の木器・木製品、初期須恵器、破砕鏡(計10点)
所在地・所有者
高知市
写真
木器1 直柄組合せ鋤
解説
木器・木製品(6点)
直柄組み合わせ鋤、曲柄平鍬、曲柄叉鍬、首木(軛)、舟形木製品、横櫛の6点。
曲柄平鍬、曲柄叉鍬は、柄がずれるのを防止するため、軸部にナスビのヘタ状の突起を作り出していることから、「ナスビ」形農耕具と呼ばれる。
首木(軛)は馬鍬(出土せず)とセットで使われたものと考えられるが、高知県内では他に出土例がなく、全国的にもほとんど類例がない。
舟形木製品は完形ではなく、船尾の部分が欠損したものと考えられる。弥生時代の舟形木製品は、単純な刳船を模したものが多く、船首と船尾の区別が付けにくいのに対して、船首部分に段を表現していることから、準構造船を模したものといえよう。河川祭祀にあたって使用されたものと考えられる。
横櫛は、平面半円形の刻歯式横櫛であり、歯は古代のものに比べて荒く、1cmあたり約6本を挽きだしている。
舟形木製品は古墳時代中期のもので、その他のものについては概ね古墳時代後期のものであると考えられる。また、これらの遺物は遺跡北側に所在する高間原古墳群(市指定史跡・古墳時代後期)の被葬者群との関連が指摘でき、その実相に迫る手がかりとしても貴重である。
初期須恵器(3点)
甕、把手付鉢、はそう、の3点。いずれも、祭祀に使用されたと考えられる。
甕はほぼ完形で出土していることから、後川・中筋川流域で類例の多い河川祭祀に際してその場で割られたものと考えられる。県中部では最古級の甕である。
把手付鉢は受け部から上の口縁部が長い。受け部の下には櫛描き波状文、底部はヘラ削り痕が残る。
はそうは、胴部上半に最大径を持ち、頸部と2条沈線に挟まれた胴部に波状文を配す。胴部に比べて口縁の開きが小さく端部直下に凸帯を持つ。
いずれも古墳時代中期のものである。
破砕鏡(1点)
後漢鏡とみられる内行花文鏡(連弧文鏡)の破砕鏡で圏帯の直径は約6cmである。面径はその約3倍とすれば18cm程度であると推定される。圏帯の内側の紐座には蝙蝠形の四葉文が配されていたらしく、その一部(葉先の部分)が残存している。連弧文の隙間に銘の一部である「石」の文字が残る。「石」は他の類例からみて、「寿如金石」銘の一部と考えるのが妥当であろう。この鏡は中国での出土は少なく、どちらかといえば楽浪郡や日本での出土例が多いという特徴を持つため、中国本土ではなく楽浪郡で製作された可能性もある。県内では、破砕鏡の出土例としては、田村遺跡群や西分増井遺跡があるが、内行花文鏡を使用したものは初例である。この系統の鏡は連弧文帯とは別に、四葉文の間に「長宜子孫」、あるいは「長宜高官」等の銘が配されていることが多く、この鏡も同様と考えられる。同一遺構の出土遺物からみて、弥生時代後期のものといえよう。
その他の写真
木器2 曲柄平鋤
木器3 曲柄又鍬
木器4 首木(軛)
木器5 舟形木製品
木器6 横櫛
初期須恵器1 甕
初期須恵器2 把手付鉢
初期須恵器3 はそう
破砕鏡 内行花文鏡