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文化財情報 無形文化財 義太夫節
指定
高知市指定 無形文化財 指定年月日 平成 6年 3月 1日
名称
義太夫節
所在地・所有者
保持者:河野遊亀(竹本一長)
写真
義太夫節
解説
義太夫節は浄瑠璃の一流派であり、竹本義太夫(1651~1714)を始めとするが、土佐でも幕末以降明治・大正期-特に明治中期~大正期-に高知市や赤岡、後免、佐川、新川などの町を中心に民衆娯楽として流行した。
河野遊亀氏は5歳で浄瑠璃(義太夫節)を習い始め、8歳のとき高知市八百屋町の初代竹本一長から弾き語り(三味線を弾きながら浄瑠璃を語ること)の手ほどきを受け、12歳で竹本一長の内弟子となって修業。才能を認められ、16歳のとき師匠の推薦で京都市に出て義太夫節愛好家の奥田商店に奉公しながら修業、ここで大阪の文楽座から出稽古に来ていた野沢吉佐(後の国の重要無形文化財保持者野沢松之助)に才能を認められ師事して芸を磨いた。
戦後の地芝居(農村歌舞伎)流行期には県下を回って地語り(芝居のための浄瑠璃語り)をしたり、あるいは三味線弾きとして活躍し、昭和28年(1953)頃に二代目竹本一長を襲名。昭和31年(1959)には東京の移動劇団に加わり、二ヶ年にわたり東京・大阪・名古屋・東北地方を巡業した。
1991(平成3)年には「竹本一長太棹の会」を組織して後進を指導育成し、消滅寸前の伝統芸能の継承と保存に努めている。