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文化財情報 史跡 竹島跡
指定
高知市指定 史跡 指定年月日 平成11年 5月15日
名称
竹島跡
所在地・所有者
高知市南竹島町
写真
竹島跡
解説
住宅地のはざまの小さな岩魂。
中世以前の高知市は海岸線が今よりも深く、五台山、比島、洞ヶ島、田辺島等は浦戸湾内の島であったと考えられている。しかし地震による地形の変化、河口付近への土砂の堆積等により徐々に姿を変え、さらに近世以降の干拓事業により現在の高知市の地形に近づいて行った。
竹島もそれらの島のひとつで、寛永年間(1624~1644)に竹島北端から新田にかけて堤が築かれるまでは、潮江南部は湿地帯であった。延享元年(1744)に下田屋と相良屋が竹島・衣ヶ島(消滅)北端から北東に向かって干拓事業に着手、翌年竣工、約42.3haの土地が埋め立てられた。
その後竹島は、桟橋地区に作られた競馬場や、堤防、宅地等の埋め立て工事のために削り取られてその形を失い、現在の姿になった。