本文
文化財情報 民俗文化財 諸木八幡宮神社秋の大祭
指定
高知市指定 民俗文化財 指定年月日 令和2年7月1日
名称
諸木八幡宮神社秋の大祭
所在地・所有者
高知市春野町東諸木・諸木八幡宮
写真
おはけ竹
獅子舞の獅子馬
解説
春野町東諸木地区にある八幡宮の秋の大祭「諸木八幡宮神社秋の大祭」は、毎年10月第4日曜日に行われている。地区には7つの組があり、7年毎に1年間、当番組となり、祭りの役「頭家」を務める。「大頭家(だいとうや)」とも言っていたが、現在は頭家の中でも世話人とともに中心となる家を大頭家と呼んでいる。
秋の大祭の1週間前には、大頭家宅敷地に、神様への頭家の目印となる「おはけ竹」を立て、頭家神事を行う。おはけ竹とは、十数メートルの竹の上部に藁を束ねて作った御幣の台を結び、御幣を挟んだ竹3本をそれに飾ったもので、三方から紙垂(しで)を垂らした引き網を倒れないように張り、このおはけ竹の下に2メートル四方にしめ囲いをして立てている。
秋の大祭の前日には、「お樽」という行事が行われる。(「おかぐら」と言われていた時期もある。)酒の入った樽を藁などで編んだもので包み、竹に括って若い衆が担いで、大頭家宅から八幡宮へ出発する。当番組の間の道を回り、樽をところどころで、上下に揺すり、家の前や道路へぶつけ、八幡宮の境内(鳥居付近)で樽を激しく叩きつけて大きく壊し、神殿に酒を納める。
神殿に納める酒は、以前にはトーデン(当田。御旅所付近の神田)で収穫した米を使って一夜酒を造った時期もあったというが、今は造られていない。春分の前後の日に、このトーデンでは、カミデン(神田)という行事が行われている。神事、早乙女の田植えや無病息災を祈る泥塗り等、大頭家と世話人の最初の大きな行事となる。
秋の大祭の当日は、神事、浦安の舞の奉納の後、境内で「獅子舞」が行われる。軽妙な太鼓のはやしに合わせて寝ている獅子馬の廻りを踊り子が踊る。居眠りしている獅子馬を跨いだり、たたいたりする。獅子馬はちょっかいに怒り狂ってはまた寝る。繰り返されるちょっかいに、最後は歯を激しく打ち鳴らし威嚇する。そして、詰めかけた見物人に向かって、歯を激しく打ち鳴らし、迫りつつ回る。最後は、首に縄をかけられ取り押さえられる。
この後、「御神幸(おなばれ)」が始まる。御神幸は、練り、獅子舞の獅子馬・踊り子、鼻高(天狗面)や様々な道具類を持った供人、神輿等で構成されている。
その先頭を行くのが各組代表7人の「練り」である。各組でしつらえた衣装をまとい、白鉢巻、赤襷、黒手甲、黒脚絆、白足袋に草鞋のいでたちで、本殿に向かって一礼し、各組名が記されている白熨斗が結びつけられた長刀を東に向いて上げ、本殿に向かって切り込み、股を抜かして西に向かって振り上げ、西・東・西と3回繰り返し進んで行く。まず、頭家の当番組が、鳥居から本殿に向かって中に練りこみ、続いて翌年の頭家の当番組が、その後に残りの5組の代表が並んで進んで行く。
神輿は、木遣り(近年は録音したもの)に合わせて進み、途中「チョウサ、チョウサ」のところで声を合わせて激しく揺すりながら、御旅所へ向かい、祭事の後八幡宮へ帰還する。
また、現在では消滅しているが、1892(明治25)年の『吾川郡神社明細帳』には、「其地ニ居住スル家々ハ古来ヨリ明治九年ニ至ルマテ祭日ニ行事殿ノ白粉給ヲ出セリ」とあり。「行事(ぎょうじ)」(行子。神がかりする子ども)が存在していたことが分かる。