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文化財情報 史跡 朝倉城跡
指定
高知県指定 史跡 指定年月日 昭和28年 1月29日
名称
朝倉城跡
所在地・所有者
高知市朝倉
写真
朝倉城跡
解説
高知大学西側に近く約100mの丘陵で、頂上部には広さ20aの平坦面があり、高さ3mほどの急斜面によって囲まれている。これが朝倉城本丸一詰の段であったと考えられる。この本丸の周囲にはいくつかの塁一出丸跡と思われる平坦面がある。城跡一城山全体は北、国道33号線沿いに急斜し、南、東の国道56号線沿いにはやや緩傾斜であって、西は緩かな尾根伝いで延びている。この地に本山梅慶(清茂)がいつ居を定めたか不明であるが、おそらく天文初年(1532~)頃までのことであろうか。子茂辰と父子二代この地で吾南、高東の平野から浦戸湾西岸地区に拡がる勢力圏を形成し、本拠地嶺北方面を加えて土佐中部地域を支配した。1560(永禄3)年より開始された長宗我部、本山争覇戦に敗退した本山氏は、1563(永禄6)年1月朝倉城を焼いて本拠地本山に退去した。なお「長宗我部地検帳」によれば相当の家臣がこの地に居住している。また城跡の南東斜面には弥生時代の遺跡もある。