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文化財情報 史跡 鹿持雅澄邸跡

指定

高知県指定 史跡 指定年月日 昭和38年 7月 5日

名称

鹿持雅澄邸跡

所在地・所有者

高知市福井町

解説

 鹿持雅澄[かもちまさずみ]の邸跡は福井町のほぼ中央、北環状線の南側に東西に横たわる山丘の西南麓にある。屋敷地は約600平方メートルほどで、いまは西北隅に古井戸だけが残っている。
 雅澄は1791(寛政3)年に生まれ、生涯をこの地に送った。17歳頃から急速に才能をのばし、儒学を中村隆蔵に、国学、和歌を宮地仲枝に学んでその学才を称せられるようになった。雅澄は下士の家に生まれたので、分一役[ぶいちやく]や城の門番、山内家の墓所の番人などを務めたが、のち家老の福岡孝則の知遇をえて藩校教授館[こうじゅかん]の写本係となる。雅澄の研究は万葉集に集中され、大著『万葉集古義』に結実した。ほかに『南京遺響』、『山口響導』、『土佐日記地理弁』などの著述があり、家集に『山斎集』がある。1858(安政5)年68歳で没した。
 邸跡には、佐々木信綱博士の「鹿持翁百年祭歌」3首が刻まれた歌碑が建てられている。