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文化財情報 重要文化財 建造物 旧関川家住宅

指定

国指定 重要文化財 建造物 指定年月日 昭和49年2月5日

                    追加指定年月日 平成4年8月10日

名称

旧関川家住宅

所在地・所有者

高知市一宮・高知市

写真

旧関川家住宅の画像
旧関川家住宅

解説

 土佐藩では、藩政期当初地方支配の安定化を目的とし、長宗我部氏の遺臣たちを下級武士の身分である郷士に取り立てた。やがて、田畑の開墾による取立てや金銭による身分の譲受け等により郷士となることができるようになったことから、郷士には庄屋や農業を営む者が多かった。旧関川家住宅は、その豪農(郷士)の住宅として典型的なものである。屋敷は1,611平方メートル(488坪)。控え柱を特徴とする表門は東面しており、172.4平方メートル(53坪)の主屋は南面している。
 主屋は、客受けの「しきだい」、「ざしき」、「おくのま」、「ぶつま」、「おなごべや」、「ようのま」、「いま」、「だいどころ」、「とりのま」、「どま」、炊事場の水屋の間取りから成る。「しきだい」と「ざしき」とは本床、脇床ののある書院造りで接客部を成しており、「しきだい」と「ようのま」との天井には槍掛けがあり、士族の面影を伝えている。「ぶつま」を特に設けてある民家は極めて稀で、「おなごべや」は窓のない土壁の部屋である。接客部を除いた居住部は、大きな柱や梁・桁をみせる民家になっており、「いま」には囲炉裏がある。
 また、仕切りも舞良戸(まいらど)という古風な板戸である。外観的には、長方形の居住部の東寄りに接客部が突出した格好になっていて、一般的にL字型・鍵型などといわれるものである。このように、旧関川家住宅は豪農(郷士)宅のため接客部がよく発達している点に第1の特色がある。
 第2の特色は、庇が発達していることである。屋根の下にあるのは「おくのま」、「ぶつま」、「いま」、「どま」と「ざしき」の一部で、「だいどころ」、「おなごべや」などは庇の下にある。これは、庇を大きくすることによって間数を確保しているのである。
 主屋は寄棟造、屋根は茅葺で、庇の部分は瓦葺である。主屋の「ざしき」床の間の「よせ」に、「干時文政二夘歳後四月上旬張之野田村大工弥左衛門作」と墨書があり、文政2年に建てられたか、改修補修が行われたとみられる。
 この主屋の西側にある米倉は明確な年代は不明であるが、明治26(1893)年に再建されたものであると考えられる。また、道具倉は直近の調査により、祈祷札箱の墨書が発見され、明治28(1895)年の再建と考えられる。なお、道具倉と米倉はともに切妻造であるが、道具倉は内壁・外壁は瓦を貼ってある海鼠壁で防火や湿気に対する工夫がなされている。