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文化財情報 重要文化財 彫刻 木造毘沙門天及脇侍立像
指定
国指定 重要文化財 彫刻 指定年月日 明治44年 4月17日
名称
木造毘沙門天[びしゃもんてん]及脇侍立像(3躯)
所在地・所有者
高知市長浜・雪蹊寺
写真
毘沙門天立像
解説
像高 毘沙門天 168.0cm 吉祥天 79.7cm 善膩師童子 71.2cm 鎌倉時代
三尊ともヒノキ材、寄木造、玉眼嵌入の像である。1918(大正7)年の修理の際、中尊毘沙門天の左足ほぞに墨書銘が発見され、以来湛慶在銘像として知られるようになった。
湛慶が法印に叙せられたのは1213(建保元)年、法勝寺塔の造仏によるものであり、雪蹊寺の前身高福寺の建立を1225(嘉禄元)年とし、それにあわせて三尊像が制作されたものとすれば、湛慶50歳台の円熟期の作といえよう。三尊とも頭体部を別々に寄木して、頭部を首の下で体幹部に挿し込む。
毘沙門天は冑はかぶらぬが、身に鎧をつけ、腰をわずかに左にひねり、右足を一歩ふみだして邪鬼の上に立つ。いま両手は失われてないが、凛々しい目鼻立ちの刻み、充実した体幹部の肉付けも的確で、洗練された写実的表現をみせている。吉祥天は宋風の大袖の着衣を付け、腰を左にひねって荷葉座[かようざ]上に立つ。腹を前につき出したやや不自然な姿態をとりながら、理知的な美しさをみせている。善膩師童子はやや首をかしげ、軽く腰を折り、中尊を見上げた愛くるしい表情をみせる。三尊それぞれ彫り口をかえ、中尊に対して吉祥天・善膩師童子をずっと小さくつくって、巧みな三尊構成をみせている。
その他の写真
吉祥天立像
善賦師童子立像