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文化財情報 史跡 高知城跡
指定
国指定 史跡 指定年月日 昭和34年 6月18日
名称
高知城跡
所在地・所有者
高知市丸ノ内1丁目
写真
高知城跡
解説
高知城のある大高坂山は、南北朝時代南朝方の大高坂松王丸が居城としたところで、その後1588(天正16)年長宗我部元親が岡豊城(南国市)からこの地に移り、居城を構えて城下町の建設に努力した。しかし、低湿地で洪水に悩まされ、やがて浦戸の地に再移転することとなる。
1601(慶長6)年長宗我部氏に代わって入国した山内一豊は、間もなく「土佐郡国沢の内大高坂山」築城にかかった。石材は浦戸城の不要のものを取り壊して舟で運ぶほか、その他近隣の村々から取り寄せ、木材も周辺の村々から切り出し、瓦は職人ともども大阪に求めた。1603(慶長8)年本丸、二ノ丸が完成、一豊は浦戸から新城に移った。三ノ丸は地盤が悪いうえに狭小であったため工事に手間取り、ようやく1611(慶長16)年完成して城としての形が整った。1727(享保12)年城下の大火で追手門ほか二、三の建物を除いてことごとく焼失したため、翌年から再建に着手、1753(宝暦3)年三ノ丸の完工を最後として再建がなる。1871(明治4)年の廃藩置県後全国各地で城郭破壊が行われたが、高知城も1873(明治6)年本丸以外の二ノ丸、三ノ丸の堀や櫓を残して表御殿、奥御殿などの建物が撤去され、1876(明治9)年には本丸と追手門を残して塀、櫓及びその付属の建物が払い下げられた。
残存する天守他9棟は1934(昭和9)年国宝に指定されていたが、文化財保護法の成立によって1950(昭和25)年に重要文化財に格付けされた。また、現在の高知公園他敷地は国の史跡に指定されている。
全国でも、本丸御殿の存しているのは高知城のみである。