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吉田東洋殉難の地

吉田東洋

吉田東洋は、文化13年(1816)生まれ、長宗我部の名将吉田正重より出ているといわれる。学才に優れ、郡奉行・船奉行を経て十五代藩主山内容堂に抜擢され、参政の職についた。

長浜に鶴田塾(小林塾)を開いて、後藤象二郎・板垣退助・岩崎弥太郎・福岡孝弟らを教えた。文久2年(1862)4月、外出先から帰宅する途中で土佐勤王党の党員の手にかかり、暗殺された。

実際の暗殺場所は、当地からやや南寄りの場所であったといわれている。

 

 
場所 高知市追手筋2丁目1-12(オーテピア図書館近く)
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