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歴史万華鏡コラム 2019年10月号
高知市広報「あかるいまち」より
陸軍歩兵第四十四連隊
高知市朝倉の高知大学の敷地には元陸軍歩兵第四十四連隊の兵営があった。今は構内に当時の建物は全く残っていない。だが西に隣接する旧大蔵省印刷局の敷地には、連隊の弾薬庫と講堂、それに弾薬庫を囲む土堤(盛土)の一部が残っている。ここもかつては連隊の敷地だったからである。これらの構造物の一部は、朝倉駅前から国立高知病院の間の道路から見ることができる。
「敗戦後、兵営には連合国軍が駐留した。弾薬庫は倉庫として利用されたらしく、内部の木製の扉には担当軍曹の名前や開閉時刻等を書いた英文が残っている。白い外壁には、鋭い刃物で刻んだ「N.J.」「C.LO」などのイニシャルらしき落書きもある。
土堤は爆発事故時の被害予防と侵入阻止のためのもので、巡回監視のため上部に上がるコンクリート製の階段が残っている。その傍らには「首つり松」と呼ばれた赤松の切り株もある。厳しい訓練に耐えられなかったのだろうか。
戦前、県内で徴兵された男子のほとんどが、この連隊で二年間現役に服した。そして、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争と、ここから出兵し、中国大陸や南の島で多数の兵士が戦死した。高知県民にとってここは「慰霊の地」といっても過言ではない。
学術調査の結果、弾薬庫、講堂とも連隊創設時の一九〇〇年前後に建設されたもので、歴史的に貴重であると判断された。幸い高知県が敷地の購入、建造物の保存へと動いているようだ。戦後七十四年、戦争の悲劇を伝える「ひと」は少なくなった。これからは「もの」が証人になる時代である。今後、どう建物が保存され、戦争の記憶が継承されていくのか、注目していきたいと思う。
平和資料館・草の家 研究員 馴田 正満
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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。