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歴史万華鏡コラム 2020年9月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

兼山の「曲線斜め堰(ぜき)」
~アフガンに生きる江戸時代の技術~

9月号写真
●木材と石で築かれた、曲線を描く大正期頃の旧八田堰

昨年末、アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師。連日テレビや新聞で報道されたので、ご存じの方も多いのではないだろうか。中村氏は医師として長年にわたって活躍されたばかりでなく、アフガニスタンの荒れた砂漠地帯を豊かな農地にするために、現地で堰を築き、用水路を引く土木事業にも貢献されていた。

新聞記事を読んでいて、次の一節が目に留まった。

「江戸時代から残り、技術のない住民でも修復可能な、故郷福岡県の山田堰を参考に用水路を建設し、砂の大地が緑の農地に変貌した」とある。しかも、その堰は同県の筑後川で築かれた、水の流れに逆らわず斜めに石を敷き詰める「山田堰」の築造技術が用いられたとのことだ。

「山田堰」といえば高知県の物部川にも偶然同名の堰がある。「斜め堰」という点でも同じである。

江戸時代初期に堰や用水路建設で活躍した人物に、土佐藩二代目藩主に仕えた執政・野中兼山がいる。

兼山は、山田堰をはじめ仁淀川にも八田堰・鎌田堰を築くなど土佐藩各地で土木事業を行った。兼山が築造した堰にも「斜め堰」が多い。

「斜め堰」とは、川筋に対して水平に横切る堰とは異なり、右岸と左岸を斜めに横切るように築いた堰のことである。江戸時代に全国で築かれた堰の多くが、この「斜め堰」の構造である。最新の土木技術関係の研究論文の中にも「斜め堰」の効果についての検証結果が報告されており、「斜め堰」の方が水平に構えた直交堰よりも取水効果があり、洪水にも強いとされている。

この江戸時代の日本の技術が数百年もの時を経て、遠く離れたアフガニスタンの地で農業復興のために役立っていることは日本人としてとても嬉しいことである。兼山の築造した堰は「曲線斜め堰」と言い、「斜め堰」をさらに下流に向けて膨らませた「曲線堰」という優美な特徴をも併せ持つ。その工夫の妙については近日開かれる春野郷土資料館の企画展で、ぜひご観覧いただきたい(詳しくは16ページ参照)。

春野郷土資料館 横山 有弐

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。