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歴史万華鏡コラム 2020年10月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

「軍人百度石」と「坂本龍馬彰勲碑」

10月号写真1
●朝倉神社の軍人百度石
10月号写真2
●裏面

高知市一宮土佐神社の鳥居脇の「軍人百度石」をご存じだろうか。表面には大きく「百度石 □人 安全」の文字が刻まれ、□にあった「軍」の文字は戦後に削られ現在は判読不能となっている。「軍人百度石」は特に軍人の安全を祈願し、百度参りの標識として設けられた。高知市の朝倉神社では、頂部に鳥の彫刻が施されたものもある。高知市には土佐神社と朝倉神社、その他に香南市野市町の深渕神社・立山神社、香我美町の浅上王子宮、香美市の大川上美良布神社にもあり、背面にはいずれも「香美郡東川村 末延元吉」の名が刻まれている。これらの碑はほとんど大正の初めに建立された。

香美郡東川村(現香南市香我美町東川地区)出身の末延元吉は、農業の傍ら石工をしており、夜須町羽尾の長谷寺「日清之役従軍碑」の建碑寄付者にも名を連ねる。大正六年十二月に高知県香美郡役所が刊行した『第二回地方改良表彰者事績概要』には、芸西村和食の軍人墓地の手水鉢や、地元の石舟神社に手製の狛犬や石灯篭、石垣の寄贈、近隣住民のための橋梁建設等を行ったことで香美郡長より表彰、金属製の火鉢が贈られた記録が残されている。

ところで同書には、元吉が坂本龍馬彰勲碑の建立のために奔走したことが記されている。年老いた体で高知市と東川を十数回往復し、野宿をしたことも少なからずあった。元吉七十九歳の頃である。大正五年十一月十二日には、碑が建てられた高知市柳原で建立記念式典として、藤崎高知市長より依頼を受けた任侠鬼頭良之助氏の演出で、芸妓による屋台からの餅投げや柔道の奉納演武などの盛大な余興が行われることを、前日の『土陽新聞』が伝えている。

この彰勲碑は、坂本龍馬像が建てられた昭和初期に柳原から桂浜の現在の位置へ移設されたようである。まだ高知に坂本龍馬を讃えるシンボルが存在しない大正時代に、彰勲碑建立のために奔走した東川の老石工末延元吉の名は、今も各地の「軍人百度石」の裏に見ることができる。

香南市立文化財センター 横山 藍

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。