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歴史万華鏡コラム 2021年5月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

高知市に見る時計の歴史の変遷

5月号写真
●中村時計博物館内の様子

高知の帯屋町に川村時計店があったことを知る人は少なくなった。川村時計店の主人は川村増治氏で、県の時計商組合の会長であり、よく組合員をまとめた人格者だった。川村氏が帯屋町に店舗を構えたのは昭和二十一年九月で、この頃から時計の販売が活発になっていく。

それではそれ以前はどうだったかというと、国内での時計の生産個数が少なかったため、修理が主体だった。修理するといってもほとんどの時計屋が「勘」と「器用さ」で修理するといった状態で、難しい修理の依頼がくるとお手上げだったのだ。そんな中、南はりまや町の岩崎嘉瑞(かずい)氏だけは理論的な修理技術を確立しており、同業者から持ち込まれる「難物」の修理に助言を与え、手助けをする力強い味方だった。

昭和三十年代になると、国内の時計の生産個数も増え、国内の需要を十分に満たすようになる。先に述べた川村増治氏の最大の功績は、昭和三十九年六月に高知で「全国時計商組合連合会」(全時連)の全国大会を開催したことだろう。この頃から昭和四十五年ごろまで時計業界は順調な商いの時期を迎える。

ところが、昭和四十五年ごろ、電池を動力源とした「クオーツ時計」が市場に大量に出回ると、この安くて故障の少ない時計は時計店の仕事を奪い、経営を苦しくした。仕事を奪われた店は次々と廃業に追い込まれ、全盛期には二五○軒以上あった時計店が三十軒足らずまで減少した。

そんなとき、平成十年六月十日「時の記念日」に、南国市に「ぜんまい時計」だけを展示した「中村時計博物館」がオープンする。このことは高知の時計屋の気概を全国に示し、時計業界の発奮を促した。

今日この「中村時計博物館」は新たに「中村時計工房」(南国市後免町一丁目)を立ち上げ、若い世代にぜんまい時計の修理技術の継承を行い、時計に対する感謝の心を世に残そうと活動を行っている。

中村時計博物館 館長 中村 昭弘

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。