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歴史万華鏡コラム 2021年12月号
高知市広報「あかるいまち」より
田中貢太郎の反骨
高知市仁井田に生まれた田中貢太郎は、明治三十六年に文学を志して上京し、美文で知られた同郷の文人大町桂月の門を叩いた。明治初期の政界を舞台にした新聞小説『旋風時代』が大当たりしたほか、数多くの怪談、怪奇小説でも知られる。
評論家の種村季弘は、貢太郎の怪談について、もともと政治青年であった彼の「志を得なかった国士の裏芸」であり「余技」であったのだろうと評していて(『日本怪談集 取り憑く霊』解説)、貢太郎本人は「理屈なしに怪談が好きだ」とも言っている。
貢太郎の出世作は、大正三年に『中央公論』に発表された「田岡嶺雲・幸徳秋水・奥宮健之追懐録」であった。著作が悉(ことごと)く発禁処分となった嶺雲、大逆事件で刑死した秋水と奥宮。そんな土佐出身のくせ者たちを貢太郎は恩人であるとして、その思い出を綴(つづ)っているが、そこには、当時彼らに対して世間が抱いていたであろうイメージとは異なる、人間味溢れる姿が描かれている。
ところで、高知県立図書館田岡典夫文庫には、「基督抹殺論序文」と題された資料がある。田岡嶺雲による序文の校正刷と関連する文章などを併せて一冊に綴(と)じたものなのだが、巻頭の貢太郎の墨書によれば、当初幸徳秋水最後の著作『基督抹殺論』に付されるはずだった嶺雲の序文は結局使われず、校正のために送られてきていたゲラ刷りを貢太郎がもらい受けたのだという。
嶺雲の甥である田岡典夫は、師匠の貢太郎からそれをもらうとすぐに表紙をつけ、貢太郎に頼んで巻頭に由来を書いてもらった。貢太郎が由来記を書いた秋の日のことを、田岡は資料巻末に付記している。昭和十四年のことだ。「よく晴れた秋空を羽田の飛行機献納式に爆撃の実況をみせにゆく編隊機がいくつもいくつも飛んでゆく。先生は、ちょうどこの上を飛んでゆくきに危(あぶな)ふていかんと首をすくめてゐられた。」
一見おどけたもののように見える貢太郎のふるまい。ただ、「志を得なかった国士」であり、反骨の人々を恩人として回顧した貢太郎の胸の裡(うち)を思う時、軍用機の編隊飛行に向けられた「危ふていかん」という言葉は、にわかに暗く重い意味を帯びてくる。
高知県立図書館 渡邊 哲哉
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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。