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歴史万華鏡コラム 2022年06月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

まんが王国のすすめ

6月号写真
●「まんが王国・土佐」の未来を開くカギを持つ横山隆一(写真左・1988年)

昨今、全国各地に「聖地」と言われる漫画・アニメに関係する場所が多く生まれ、観光・経済活動の一翼を担う様になった。

高知は、この現状の遥か前より「まんが王国・土佐」という名称を名乗っている。では、「まんが王国・土佐」とはどういうことで、いつごろから言われているのだろうか。

まず、この「王国」というのは、「とても盛ん」という意味で使われる。つまり、高知はまんがが盛んということになる。1951年には高知新聞にて「マンガ教室」という一般から作品を募集し、紙上でアドバイスをするという企画が始まり、現在は「高新まんが道場」へと引き継がれている。1954年、横山隆一に率いられた漫画集団(国内一流まんが家の親睦グループでサイン会や展覧会を企画した)の来高に大きな刺激を受け、地元有志のまんが団体が結成された。県内にアマチュア・セミプロまんが家の裾野が広がり、そこからプロも輩出することになる。なぜ、高知はまんが家が多いのかと聞かれたとき、対外的には土佐人気質、高知の風土が影響している等と言われたりするが、横山隆一という当時のまんが界の第一人者の存在が後輩に与えた影響は計り知れない。

名称が使われ始めたのは1970年代後半で、1988年の「国民休暇県・高知まんがフェスティバル‘88」の開催に伴い周知されることとなった。この70・80年代に高知出身のまんが家が雑誌・メディアで活躍し、地元でもまんが家の力を地域活性への起爆剤にしたかったという思惑と重なり生まれた名称なのである。

そのフェスティバルの翌年、隆一は「(まんが家の来高で)世間の視線を集めるのも一つの方法だろうが、世間の目を大きく見開かすことが大事だ。漫画で人を呼ぶのではなく、まんが的発想で人をひきつけることだ。この違いをちゃんと考えないと駄目だね」と言っている。王国民である私達には、まんがは描けなくても「まんが的発想」で物事を考え、問題を解決し、人を喜ばせることが求められているのかもしれない。

横山隆一記念まんが館 学芸員 大野 雅泰

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。