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歴史万華鏡コラム 2022年09月号
高知市広報「あかるいまち」より
地中に広がる古代の風景
「古代」と言われる飛鳥・奈良・平安時代。その頃の土佐国について考える時、何を思い浮べるだろうか。国分寺建立、紀貫之の『土佐日記』、流刑の地などを思い浮べる人もいれば、全くイメージが湧かないという人も少なくないだろう。
実際、古代土佐国に関する文字資料は限られ、不明な点は多い。そのため、当時の様相を知るには、発掘調査で出土した品々や構造物の痕跡から得られる情報が重要な手がかりとなる。県内では、これまでに古代の寺院や官衙(かんが)(役所)関連施設、交通・物流拠点など、地域の中核的な施設が各地で確認されており、少しずつ知見は蓄積されている。
特に近年は、古代関係の発見が相次いでいる。南国市の若宮ノ東遺跡では、七世紀後半頃の大型掘立柱建物跡のほか、九世紀頃の税を納める正倉跡が見つかり、古代長岡郡の行政機関の一部が姿を現しつつある。
また、安芸市の瓜尻(うりじり)遺跡では、規模や配置に規格性が見られる官衙的な掘立柱建物群が確認されたほか、七世紀後半頃のものと考えられる蓮華文軒丸瓦(れんげもんのきまるがわら)や寺院の塔の頂部に据える金属製の装飾品「水煙(すいえん)」の断片などが採取された。これにより、官衙関連施設と県内八例目の古代寺院の存在が新たに分かり、古代安芸郡の拠点についての考察を一歩前進させる可能性を秘めている。
無論、高知市にも古代に関する遺跡は多数ある。土佐国最古級の寺院の一つである秦泉寺廃寺跡。未発掘ながらも古代寺院として知られている春野の大寺廃寺跡。古代の窯跡と見られる福井遺跡。水上交通の拠点があったと考えられる追手筋遺跡や弘人(ひろめ)屋敷跡。一般集落跡の可能性がある鴨部遺跡など、意外と身近な場所に多様な遺跡が残っている。
これから迎える秋の夜長。『高知市史 考古編』(平成31年刊行)を片手に、古代国家形成期の土佐の様相を想像してみるのも面白い。あなたの住まう地域には、どんな風景が広がっていただろうか。
安芸市立歴史民俗資料館 学芸員 仙頭 由香利
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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。