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歴史万華鏡コラム 2022年10月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

須留田(するだ)八幡宮神祭が絵金にもたらしたもの

10月号写真
●須留田八幡宮(本殿)

幕末から明治にかけて、土佐で人気を博した絵師・金蔵、通称「絵金」。彼の大成させた芝居絵屏風には謎が多く、制作時期は定かではない。その中で芸能史家の近森敏夫氏は、香南市赤岡町にある須留田八幡宮の神祭がきっかけで芝居絵屏風を生み出したと考察している。今回はその考察を基に絵金と須留田八幡宮の関係を紹介する。

須留田八幡宮は旧赤岡町で最も古い神社といわれているが、いつごろ鎮座したかは定かでない。境内の石造物には赤岡商人の刻銘が多くあり、藩政期の在郷町赤岡の繁栄ぶりを伝えている。また江戸後期に拝殿を再建する際は、赤岡商人らがお金を出し合い床下をろくろ式の廻り舞台にしたという記録がある。これは天保の改革により、土佐では禁止されていた芝居興行を、神社の奉納芝居という名目で上演させるという赤岡商人の反骨精神の現れであった。しかし、この仕掛け舞台も社屋改築の際に取り壊されてしまう。その時に八幡宮の氏子の一人とされていたのが金蔵であった。この舞台が、彼の芝居絵の演出に大きな影響を及ぼしたと近森氏は推測している。

金蔵は須留田八幡宮神祭で行われていた地芝居に対抗するように、夏祭りの宵の景物として芝居絵屏風を描き始めたとされている。赤岡の夏祭りで披露される金蔵の芝居絵屏風は評判となり、彼の芝居絵を求める人々によって町絵師「絵金」の名は広まっていった。かつて香南の商都と呼ばれた赤岡の財力に支えられ、造り酒屋の酒蔵をアトリエにした絵金は、芝居絵屏風なら一日一枚、絵馬提灯なら一日百数十枚を描いたといわれている。このように須留田八幡宮神祭から始まり、今日まで大切に守り継がれてきた絵金の作品は土佐の祭礼に欠かせない存在となっているのだ。

ことし十月一日、絵金生誕二百十年という節目を迎える。また来年四月には、あべのハルカス(大阪府)で絵金をテーマとした大規模な展覧会が開催される。次世代へ彼の作品を伝えていくことは我々の使命である。

絵金蔵 学芸員 中西 洸太朗

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。