本文
歴史万華鏡コラム 2022年11月号
高知市広報「あかるいまち」より
「植木枝盛先生誕生地」碑
高知市の中須賀土地区画整理事業に伴う道路の拡張のため、「植木枝盛先生誕生地」碑が、それまで設置されていた場所から東へ約80メートルほどの場所に移設された。
この碑の建立は、1957(昭和32)年の植木枝盛生誕百年祭事業として行われ、市民の手によって建立された画期的な企画であった。故外崎光広氏は、1991年3月の『文化高知』(高知市文化振興事業団発行)で、1974年の立志社創立百年記念事業、1981年には自由民権百年記念事業の開催と続いた経緯を挙げ、「植木枝盛を目玉に据えたこれらの事業が高知市自由民権記念館の基礎」とも評価している。
碑の裏面には「植木枝盛先生は(中略)立志社の運動に参加し これより板垣退助先生等と自由民権運動の指導者として活躍した その後 高知県議会議員 第一回衆議院議員となり明治政治史に不朽の業績をのこすと同時に思想家としても日本の政治思想史上類をみない高さを示しその生涯は多彩をきわめた(昭和32年8月建立)」と刻まれている。
移設に際して、見学者にも分かりやすく説明するため、誕生地碑の横に新しく「植木枝盛の業績を紹介する説明板」を設置し、併せて下部には、新しい道路図をかぶせた旧中須賀町の市街地図を配置することで旧地図の歴史を感じさせつつ、元の位置が分かるように工夫された(元の碑の設置場所近くには鋲(びょう)を埋め込んでいる)。
植木枝盛を語る際、日本国憲法に影響を与えたとされる「東洋大日本国国憲按」が取り上げられるが、ウクライナ軍事侵攻や核兵器禁止を巡るNPT会議での決裂という情勢に接するとき、明治の時代、日本の進むべき道を模索した植木の「小国主義」も忘れてはいけない。植木は国際的な情勢の中で国の安全・平和を考えた「宇内無上政法」「万国共議政府」を唱え、「軍備の増強より福祉の増進を」とも説いている。植木の思想は、日本と世界の進むべき道を指し示しているように思う。
平和資料館「草の家」 常任理事 岡林 登志郎
広報「あかるいまち」 Web版トップ > 歴史万華鏡コラム もくじ
※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。