本文
歴史万華鏡コラム 2024年12月号
高知市広報「あかるいまち」より
定置網と海の生き物たち
定置網が水族館に果たす役割は大きい。大阪の海遊館で歴代展示されてきたジンベエザメの多くは室戸沖の定置網で獲れたものだと漁師さんたちは言う。全国各地の水族館が定置網のお世話になっている。そして、むろと廃校水族館も展示のほとんどが、定置網から来た魚たちである。
廃校水族館は旧椎名小学校の校舎を活用した施設であるが、この椎名地区は明治時代に定置網を設置。さらに一戸一株で地区全体が共同所有としたことで、定置網経営の安定や地域の発展に貢献。進学率まで向上したという記録もある。定置網を支えた功労者の顕彰碑も建つ。椎名地区の成功は芸東地区や徳島県南部にまで波及した。
徳島県の美波町にある日和佐うみがめ博物館カレッタ(現在改装工事で休館中)誕生の遠因も定置網だ。1950(昭和25)年、日和佐中学校の科学部の生徒が食用に解体されたウミガメの残骸を海岸で発見したことが発端である。戦後間もない食糧難の時代ではあるものの、多感な中学生には大きな衝撃だった。顧問の先生いわく「郷土愛と自然の探求心に燃えた」科学部の生徒たちがウミガメの研究を開始。のちに世界中の研究者から注目と称賛を集める研究となった。ちなみにウミガメの残骸は文献では「県外の漁師の仕業」となっているが、地元の人は「高知の漁師」と断言する。
小さなコミュニティーの安寧を維持するには、好ましくない出来事は外部の仕業にしておくことが手っ取り早い。高知の人間が聞いたら憤慨しそうだが、おそらく事実である。日和佐地区に室戸の椎名大敷組合の漁師が長期滞在し、定置網漁法を伝えた記録が残っている。その際、ウミガメの食べ方も伝わったと考えて間違いない。
令和に入り、ウミガメの食文化はほぼ消滅。戦中戦後の物資や労働力の不足も乗り切った定置網は操業を続けられるのか。現在では、過疎化や少子高齢化で漁師の確保が困難を極める。地区の共同経営も時代に合わなくなった。地場産業の未来を共に考えたい。
むろと廃校水族館 館長 若月 元樹
広報「あかるいまち」 Web版トップ > 歴史万華鏡コラム もくじ
※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。