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歴史万華鏡コラム 2025年02月号
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高知市広報「あかるいまち」より
寺田寅彦と夏目漱石
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寺田寅彦(1878~1935年)は、著名な地球物理学者であり随筆家である。大きな災害のたびに繰り返される格言「天災は忘れたころにやってくる」は未来永劫消えることのない教えである。最近では「ねぇ君ふしぎだと思いませんか」の言葉が、オーテピア図書館前の銅像の完成とともによく使われるようになってきた。博士は明治11年の東京生まれだが、両親が高知出身である。3歳から18歳までを高知で過ごし、江ノ口小学校・高知県尋常中学校(現高知追手前高等学校)を卒業した。
寅彦の恩師は夏目漱石(1867~1916年)である。熊本の第五高等学校に進んだ寅彦は、愛媛の中学を退職し、教員として着任した夏目漱石と運命的な出会いを果たしている。英語の先生と生徒の関係であった二人を強く結びつけたのは、親友のT君が英語のテストをしくじったおかげである。「英語の点をもらう運動委員」に選ばれた寅彦は、初めて個人的に夏目邸を訪問し、英語の話の後で「ところで先生、俳句とはどんなものですか」との問いを発している。それは夏目漱石と正岡子規の二人が俳句を通して親しい間柄にあること、また二人が俳人として有名なことを知ったうえでの質問であった。漱石は「俳句はレトリック(修辞)の煎じつめたものだ。扇の要のような集注点を指摘し、描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものと思えばよい。」等と語ったと伝わっている。この俳句問答を通じて二人の師弟関係は一気に縮まってゆく。
寅彦はこれ以降「俳句・随筆・小説・絵画・音楽・映画評論」等々、それまで自身にとって未知の分野で優れた活動を積み重ねていく。また、漱石を一躍ベストセラー作家に押し上げた『吾輩は猫である』に登場する水島寒月は、寅彦がモデルである。さらに『三四郎』の野々宮宗八も寅彦がモデルだといわれている。
小津町(城西公園北側)にある寺田邸は戦火で焼失後に復元され、昭和59年に高知市寺田寅彦記念館として開館し、今日に至る。父・利正が東京から持ち帰ったピンクの椿・土佐有楽は143年の時を経た今も来館者を楽しませてくれている。
寺田寅彦記念館友の会 宮 英司
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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。