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歴史万華鏡コラム 2025年03月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

高知の(さん)(がわら)

3月号写真
●左右桟瓦

古い建築物を見る際の見どころの一つが屋根であり、その部材となる瓦も細かく見ていくと大変興味深いものである。

瓦というと一般的には、見上げた際に右側が長い「へ」のような形をした、桟瓦を思い浮かべる方が多いだろう。桟瓦は江戸時代に開発され、土佐藩内では、江戸時代中期、藩主の山内家が御用瓦(藩が使用するための瓦)を作成するため伊予国(現愛媛県)から瓦職人の半兵衛を招いたことから始まったとされている。

高知の桟瓦には、二つの特徴が見られる。一つ目は桟の向きが左向きの桟瓦を使用する点である。先述した「へ」のように見えるのが右桟瓦と言い全国的に主流であることに対し、県内の古い建築物の中には「逆へ」に見える瓦があり、これを左桟瓦と呼んでいる。

両者の使い分けは「屋根の面による()き分け」「同じ面での左右の葺き分け」の二パターンに分けられる。前者は台風時等に瓦が飛ばされにくいよう、風向きに合わせて瓦を葺き分けていたとされ、後者は装飾的な意味が強いと考えられている。ただし、どちらが先に出現したかは判然としていない。鷹匠町の旧山内家下屋敷長屋の屋根は中心から左右対称で葺き分けられている。

二つ目の特徴は、一つの建物に複数の工房の瓦が葺かれていることである。大川筋の武家屋敷では平成9~10年度の解体修理の際に瓦の全枚調査が行われており、主屋だけで江戸時代の工房82軒、近代の工房45軒、計百217軒の工房の瓦が葺かれていた。なぜそのようなことが分かるのかというと、高知産の瓦には生産者を示す刻印(窯印)が押されていることが多かったからである。土佐藩が京都北白川(きたしらかわ)に建築した土佐藩邸跡からも、現在の安芸市中心部、赤野、野市、土佐山田町、五百蔵、韮生野(にろうの)で生産された24工房の刻印が入った瓦が発掘されている。

これは、江戸時代までは瓦つくり専業で家一軒分の瓦を生産できるほどの能力を持った業者は少なく、農民等が農閑期に副業で制作し、自分が何枚作って問屋に卸したかなどを判別しやすいよう刻印を付したのではないだろうか。そして明治以降になると大規模操業を行う工房が現れ、「本家○○」など自社製品の品質保証するような刻印が出てくるようになる。

瓦だけ見てもこのように往時の社会情勢や人々の暮らしというものが意外と見えてくるのである。

安芸市立歴史民俗資料館 学芸員 泉 直人

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。