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文化財情報 史跡 伊達兵部宗勝墓
指定
高知市指定 史跡 指定年月日 昭和42年 5月13日
名称
伊達兵部宗勝墓
所在地・所有者
高知市五台山
写真
伊達兵部宗勝墓
解説
独眼龍政宗の名で知られている仙台藩初代藩主伊達政宗の子で、「伊達騒動」の重要人物として登場する伊達兵部宗勝[むねかつ]の墓が五台山の中腹にある。1660(万治3)年幕府は仙台藩主伊達綱宗を不行跡のため隠居させ、その子で僅か2歳の亀千代(綱村)に相続させた。そして綱宗の叔父にあたる兵部と田村宗良に後見を命じた。兵部は奉行の原田甲斐宗輔らと結んで藩政を自由にし、反対者を処罰した。一門の伊達安芸宗重は、兵部・甲斐らの非違を幕府に訴えた。1671(寛文11)年幕府はこの伊達騒動を裁いたが、席上甲斐は安芸を斬殺した。このため兵部は騒動の責任を問われ土佐藩山内家預けとなった。1679(延宝7)年11月4日に58歳で病死。丹中山[たんちやま]で火葬後、五台山に埋葬された。墓碑には「東岳院殿前兵部大輔従四位下峰山紹雄大居士」とある。墓碑入口に「蝉しぐれ 兵部の墓に触れてみる 岩村邦雄」の句碑もある。