ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織一覧 > 民権・文化財課 > 文化財情報 史跡 行当の切抜

本文

文化財情報 史跡 行当の切抜

指定

高知市指定 史跡 指定年月日 昭和 35年

名称

行当の切抜

所在地・所有者

高知市春野町弘岡上

写真

切抜
行当の切抜

解説

 野中兼山の遺構です。兼山は慶安元(1648)年から一木権兵衛(いちきごんべえ)を中心に、五年で八田堰(はたぜき)、弘岡井筋(ひろおかいずじ)を完成させました。井筋は八田堰から弘岡上を通り、小田(おだ)、川窪(かわくぼ)でそれぞれ水を東にわけ、森山新川で仁淀川の旧支流を開削した新川川に接続します。この工事によってつくられた用水路が春野の各地をうるおし、のちに「土佐のデンマーク」といわれた園芸地帯の形成に大きく貢献しました。

 この工事の中で、最も困難だったと想像されるのが、用水路を通すために山を断ち割った切抜(きりぬき)工事です。工事に火薬を使っていなかった時代のことで、ノミとツチで岩を割っての作業は大変な工事であったと考えられ、その厳しさは「イモジ十連」や「春兎通ったあとが百貫目」などの伝説などからうかがえます。

 行当(ゆきとう)の切抜の規模は、高さ10m、幅10m、長さ40mです。周辺の改良工事によって当時のようすとは大きく変わっていますが、南側の切りたった岩盤は兼山当時の切抜の一部分と考えられています。