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当地は板垣退助の住居跡で、自由民権期の彼の本邸として使われた。立志社の活動が全国に知れわたるにつれて、県内外の多数の民権家がここを訪れ、板垣達に会って民権思想について教えを受け、各地での自由民権運動の指導者となった。
相撲の好きな板垣は、この邸内に相撲場を造り、力士を養成した。俗に「新田の相撲部屋」と呼ばれ、多いときは20人もの力士がいたといわれる。