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立志社は、明治7(1874)年4月10日、帯屋町の旧兵舎跡で発会式をあげ、その後このあたりにあった旧町会所跡を山内家から買い取って本拠地とした。
高知に戻った板垣は、板垣より先に帰郷して失業士族の生活救済、その子弟の教育機関としての学校の設立準備を進めていた片岡健吉・林有造らと協議し、同年に愛国公党によって建白された民撰議院の開設を期待する政治思想を折り込んだ結社として発足することとなった。
立志社の社長には片岡健吉が就任し、社員は1,000人に及んだといわれる。事業は、学術思想育成のための教育機関として立志学舎を九反田に開き、また士族救済のための商社活動・法律研究・討論会などを行った。とくに討論会は政治・社会・経済にわたる重要時事テーマを自由に討論するもので、後の政談演説の先駆けをなすものとなり、明治10年代には自由民権運動の全国遊説による啓蒙運動へと発展した。
立志社の設立後、これを中心として各地域に結社が設立された。
場所 |
高知市帯屋町1丁目11(東洋電化中央公園内) |
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