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尾戸焼(土佐の手づくり工芸品)

47-1文化を彩り暮らしを支えた 味わい深き、土佐の焼物

  尾戸焼といえば、端正で薄作り、淡色の地肌に藍色の呉須(顔料)で絵付けされたものが代表的。伝統的な絵柄の松竹梅や雲鶴、季節の草木や山水などが、繊細なタッチで描かれている。江戸時代は将軍家や諸大名への贈答品として用いられることが多く、主に作られていたのは茶道具。民営化以降は、それらに加え、水瓶や大壺などの大物から、水さし、徳利、花器、皿など日用品も多く作られるように。戦中、戦後は生活に密着したものがほとんどで、人々の暮らしが豊かになってからはまた茶道具を、という流れがあったと言われている。現在もその流れを汲み、二つの窯では茶道具と民芸品が作られているが、少しずつ作風が異なり、優美でやわらかな印象の土居窯と、素朴で温かみあふれる谷製陶所、それぞれの魅力がある。
  

尾戸焼の歴史

 承応二(1653)年、当時の土佐藩主・山内忠義公の命により、大阪から陶工・久野正伯を招き、高知城の北に位置する尾戸(現在の小津町)に開窯。御庭焼(陶器に趣味のある藩主や城主が窯を築いて焼かせた陶器の 総称)として、制作されたのが始まり。その際、陶土は良質な粘土が採れる能茶山から運んでいた。文政3(1820)年には能茶山に窯が移され、明治に至るまで約 50 年間、磁器の生産もされていたという。明治に入ってからは民営化され、能茶山周辺を中心に何軒か開窯されるが、その中で現在残っているのは、「土居窯」と「谷製陶所」の二軒。それぞれの特色をいかし「尾戸焼」の伝統を守っている。

尾戸焼工程

協力:尾戸焼 土居窯


主な事業所

高知市:
       48-2    48-5       
              「谷製陶所」               「尾戸焼 土居窯」       


47-2
今もお茶席で親しまれる「抹茶椀」は絵柄で季節感を表現。