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歴史万華鏡コラム 2021年3月号
高知市広報「あかるいまち」より
自由民権運動と女性たち
自由民権運動について、その活動や人物を想起したとき、女性の姿は浮かぶだろうか。
自由民権運動は、憲法の制定、国会の開設、地方自治の確立などを目標とした、明治期の全国的な民衆運動である。政府の厳しい言論弾圧によってその活動は困難を極めたが、性別による制限はなく、法律上は女性の運動参加を可能としていた。
明治十四年秋、後の女性民権家・岸田俊子が高知を訪れた。俊子は高知に滞在中、民権派機関紙「高知新聞」記者の宮崎夢柳と漢詩を送り合っている。もちろん、演説会の傍聴や、立志社との交流の機会もあっただろう。そして翌年、高知を発った俊子は突如、全国各地へ演説旅行を始めるのである。
俊子の登場以降、自由民権運動に参加する女性は全国的に見られ始めた。高知ではどうだったか。明治十七年の「土陽新聞」には「自由は土佐の山間より出ると誇るが中にも海南未だ一人の女民権家を出すことあるを聞かず」とあるが、少なからず運動に関わる女性はいた。懇親会で演説した十七歳の大原千歳や、高知自由大懇親会に参加した女生徒たちである。立志社の演説会に通い詰め、県庁を相手に女性の選挙権を訴えた楠瀬喜多も含まれるだろう。
明治十八年以降は、富永らく、山埼竹など、高知にも女性民権家といえる人物が現れる。彼女たちは、男性民権家と同様の活動を展開しながら、女性の権利拡張をも訴えた。
しかし、帝国憲法発布に伴う法整備により、女性の政治参加は全面的に禁止された。かろうじて帝国議会傍聴は許されたが、これには女性民権家・清水豊子が関わっている。議会開会直前、豊子は板垣退助を訪ね、女性の議会傍聴を可能とするよう訴えた。さらに、二十名の女性とともに与野党へ陳情書を提出したのである。後の女性参政権獲得運動につながる、重要な一歩といえるだろう。
高知市立自由民権記念館 浜田 実侑
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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。