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高知市に街路市が開設されるようになったのは,元禄3年(1690年)とされています。この街路市の歴史については,出店者の間には,相当古い歴史を持っていると伝えられていましたが,昭和30年代初めの頃までは,まだ正確な開設年次が分かっていませんでした。 昭和38年3月5日発行の「高知の街路市」という図書を見ると,著者でもあり,街路市の出店者でもあった鎌倉幸次氏がこの本の中で,次のように書いています。「私は街路市組合長在職当時何とかその起源が知りたいと出店者の先輩古老の方々の口伝を片っぱしから聞いてみたり,あるいは県立図書館に日参して,郷土誌や,その他色々の古文書も随分調べてみましたが,残念ながらなかなか見当たりませんでした」,さらに,郷土史家で山内家史編主任をされていた平尾道雄氏に調査を頼み,その結果,元禄3年が街路市の起源であることを知ったという記述が見られます。街路市関係者が高知の市が300年近い歴史を持つということを知ったのは,この時からだと考えられます。 元禄3年開設の根拠となっているのは,土佐藩第4代藩主山内豊昌が元禄3年3月に制定した藩法「元禄大定目」であり,その中の市町定に「市日,毎月2日・17日朝倉町,7日・22日蓮池町,12日・27日新市町,此定日先規之通,市之商売不可有相違事」と書かれているからです。さらに安政4年(1857年)の「安政海南政典晴天」の中の市法に「街上列市月6次2日・12日本坊,7日通坊,17日朝倉坊,26日蓮池坊,27日新市坊,毎前日坊正申穀貴賤於衙署」とあり,開市の日に移動があったことがうかがえます。その後も,明治4年(1871年)にかけて市の開かれる場所と日付は移り変わっており,この間に本庁筋,通町,京町へと広がっていきました。
明治時代の日曜市(本町1丁目・2丁目)
大正時代の土曜市(県庁前)
昭和初期の日曜市(帯屋町)
昭和初期の火曜市(5丁目広場)
昭和20年代の日曜市(追手筋)
昭和30年代の金曜市(愛宕町3丁目)
昭和30年代の日曜市(追手筋)
昭和30年代の木曜市(升形児童公園前)
昭和30年代の日曜市(追手筋)
昭和40年代の日曜市(追手筋)
昭和40年代の金曜市(愛宕町1丁目)
昭和40年代の木曜市(県庁前)
昭和40年代の木曜市(県庁前)
昭和40年代の日曜市(追手筋)
昭和40年代の日曜市(追手筋)
昭和40年代の土曜市(上町3丁目)
昭和40年代の土曜市(上町3丁目)
昭和50年代の金曜市(愛宕町1丁目)
昭和50年代の日曜市(追手筋)
昭和50年代の火曜市(上町4丁目・5丁目)
昭和50年代の木曜市(県庁前)
昭和50年代の木曜市(県庁前)
このページの写真は,『高知市街路市開設300周年記念 街路市資料集』より転載しています。