土佐史研究家広谷喜十郎
タイトル | 写真 | 出だし |
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272 武田家と土佐 あかるいまち2007年3月号 |
武田家と土佐との結び付きの歴史は、鎌倉時代にまでさかのぼる。…… | |
271 武田信玄と板垣退助(二) あかるいまち2007年2月号 |
板垣退助は、戊辰戦役で甲府を占領した折に、「乾」から「板垣」姓に改めた。…… |
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270 武田信玄と板垣退助(一) あかるいまち2006年12月号 |
来年のNHK大河ドラマ「風林火山」は、甲斐の武将・武田信玄や山本勘助を中心に展開するようである。…… | |
269 一豊時代の酒造り あかるいまち2006年11月号 |
かつて、『高知県酒造史』を書いた縁で、奈良市内東南部にある正暦寺を…… |
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268 画家・坂本直行 あかるいまち2006年10月号 |
数年前、北海道開拓に功績を上げた土佐人の足跡を訪ねたことがある。…… | |
267 一豊と土佐茶(二) あかるいまち2006年9月号 |
戦国乱世の中で、天下統一を狙った織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代に…… |
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266 一豊と土佐茶(一) あかるいまち2006年8月号 |
かつて「土佐医学史」(『高知県医師会史』収録)をまとめたことがある。…… | |
265 一豊の江戸参勤 あかるいまち2006年7月号 |
江戸時代後期になると、塾や寺子屋の普及によって庶民文化の台頭が始まる。…… |
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264 一豊と五台山 あかるいまち2006年6月号 |
高知市東部にある五台山山頂に竹林寺が鎮座している。…… | |
263 土佐山の山嶽社 あかるいまち2006年5月号 |
江戸時代後期になると、塾や寺子屋の普及によって庶民文化の台頭が始まる。…… |
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262 「テニハ」の杉本斧次 あかるいまち2006年4月号 |
土佐狂句「テニハ」の開祖は川村一瓢(いちびょう)である。元文(一七三六年〜四一年)のころ、…… | |
261 一豊と城下町形成(二) あかるいまち2006年3月号 |
『藩志内篇』の築城記録に、「瓦ハ大坂ニテ買セ職人モ亦同所ヨリ呼入ラル」とか「酒、醤油、酢、油、大坂ヨリ取寄ラレ」などとある。築城資材や武士に必要な日常物資を大阪方面から大量に買い込んでいたようだ。…… |
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260 一豊と城下町形成(一) あかるいまち2006年2月号 |
慶長六年(一六〇一年)九月、山内一豊はより強固な支配体制にするため、桂浜にある浦戸城の放棄を決意した。…… | |
259 一豊の藩内巡視 あかるいまち2005年12月号 |
慶長六年(一六〇一年)一月に入国した山内一豊は…… |
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258 一豊と浦町の成立 あかるいまち2005年11月号 |
背後に四国山地がそびえ、前面に土佐湾が広がっている土佐にあっては、「水主浦」を設けて、船の確保や乗組員である水主、船大工、鍛冶などを掌握することが、新領主・山内一豊にとっての緊急であり重要な仕事であった。…… |
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257 五藤為浄の活躍 あかるいまち2005年10月号 |
山本大著『山内一豊』によると、一豊は慶長六年(一六〇一年)の土佐入国の折、五藤為重を呼び寄せ、道中で気に入った場所があればそこを所領として与える約束をしたという。…… |
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256 山内一豊の入国 あかるいまち2005年9月号 |
山内一豊は、関ケ原の戦いで東軍側に属し、その軍功により土佐一国を封ぜられた。…… |
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255 徐福と天台烏薬 あかるいまち2005年8月号 |
県立牧野植物園の薬用樹木園に「天台烏薬」の木が十数本植えられている。…… |
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254 山内家と要法寺 あかるいまち2005年7月号 |
山内一豊は、天正十三年(一五八五年)近江長浜城主となり、天正十八年(一五九〇年)遠州掛川城主となる。…… | |
253 大利の地福寺 あかるいまち2005年6月号 |
最近、鏡地区大利の地福寺を訪ねる機会があった。…… |
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252 源希義と夜須七郎 あかるいまち2005年5月号 |
数年前、京都の石清水八幡宮を訪ねたことがある。…… |
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251 坂本龍馬と越前福井 あかるいまち2005年4月号 |
坂本龍馬は、文久元年(一八六一年)の土佐勤王党結成に参加し、翌年三月に脱藩する。…… |