土佐史研究家広谷喜十郎
タイトル | 掲載号 | 出だし |
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206 高知城と穴太衆(あのうしゅう)(二) | 2001年3月号 | 高知城の城壁づくりに、大きな役割を果たしていた穴太衆の真価が問われる仕事が舞い込んできた‥‥。 |
205 高知城と穴太衆(一) | 2001年2月号 | 昨年の夏、滋賀県を旅行した折、坂本町の日吉大社へ行った。この町は比叡山延暦寺と大社の‥‥。 |
204 関ヶ原合戦四百年 | 2000年12月号 | 本年は「関ヶ原合戦四百年」である。ことしの春、伊吹山へ本年は「関ヶ原合戦四百年」である。ことしの‥‥。 |
203 大阪と土佐(五) | 2000年11月号 | 平成2年5月5日付の高知新聞に108年前の枝盛に習い三十石船で‥‥。 |
202 大阪と土佐(四) | 2000年10月号 | 大阪と土佐の結び付きの中で、大阪人に土佐を大きく印象付けた‥‥。 |
201 大阪と土佐(三) | 2000年9月号 | 大阪の土佐稲荷神社の境内にある江戸時代の石灯籠や狛犬‥‥。 |
200 大阪と土佐(二) | 2000年8月号 | 大阪の土佐稲荷神社の境内には、土佐問屋の流れをくむ土佐屋久兵衛の‥‥。 |
199 大阪と土佐(一) | 2000年7月号 | 今春は、かつての土佐藩蔵屋敷跡にある土佐稲荷神社を訪ねてみた‥‥。 |
198 円行寺の薬師堂 | 2000年6月号 | 円行寺を北に行くと、山ふもと中央部に日吉神社の鎮守の森が繁茂して‥‥。 |
197 開成館商法 | 2000年5月号 | 土佐藩が行った天保改革では、質素倹約令を布告するとともに抑商政策を‥‥。 |
196 倉敷と土佐 | 2000年4月号 | 昨年末はしまなみ海道の旅をしていくつかの芋地蔵を訪ねてきた‥‥。 |
195 車瀬(くるませ)の水車 | 2000年3月号 | 江戸中期になると築地片町、新要法寺町、菜園場町などの新町が成立して‥‥。 |
194 是清と小一郎(こいちろう) | 2000年2月号 | 大蔵大臣に宮沢喜一氏が登用された時、蔵相高橋是清が引き合いに‥‥。 |
193 戊辰戦役の従軍医 | 1999年12月号 | 丹野美子氏が「戊辰戦争従軍医 官軍弘田親厚の日記」で、親厚が‥‥。 |
192 赤穂浪士と土佐 | 1999年11月号 | NHK大河ドラマ「元禄繚乱」の後半になると、赤穂浪士の寺坂吉右衛門が‥‥。 |
191 十津川と土佐(二) | 1999年10月号 | 十津川郷出身の中井庄五郎は、文久3年に上平主税に随行して上京し‥‥。 |
190 十津川と土佐(一) | 1999年9月号 | 数年前に和歌山県から奈良県十津川を通って吉野山への旅をした。その折、・・・。 |
189 築屋敷(つきやしき) | 1999年8月号 | 土佐藩の当局は藩政当初より城下町へ水害が及ばぬように、‥‥。 |
188 山内大膳亮 | 1999年7月号 | NHKの大河TVドラマ「元禄繚乱」を見ていたところ、五代将軍徳川綱吉が‥‥。 |
187 島弥九郎の悲劇 | 1999年6月号 | 土佐の長宗我部元親の弟、島弥九郎が病気治療のため京都にむかう途中‥‥。 |
186 室津港と土佐 | 1999年5月号 | 兵庫県御津町にある室津港は、昔から摂津・播磨の五泊の一つとして‥‥。 |
185 岡崎 精郎 | 1999年4月号 | 岡崎精郎は明治31年、吾川郡秋山村に生まれ、中学校を卒業後、‥‥。 |
184 ミツバチの伝来 | 1999年3月号 | 江戸時代初期、野中兼山は、藩外からミツバチの移入もはかっている‥‥。 |
183 神話のウサギ | 1999年2月号 | 出雲神社土佐分詞には、大国主命とかわいらしいウサギの銅像がある‥‥。 |
182 田中 英光 | 1998年12月号 | 先月紹介した岩崎鏡川の次男が、作家として有名な田中英光である‥‥‥‥。 |
181 岩崎 鏡川(いわさききょうせん) | 1998年11月号 | 岩崎鏡川(英重)は、土佐郡土佐山村菖蒲出身の歴史家と知られた人で‥‥。 |
180 坊津(ぼうのつ)と土佐 | 1998年10月号 | 我が国最初の海上法規「廻船大法」に、浦戸の篠原孫左衛門が署名して‥‥。 |
179 はりまや橋界隈(五) | 1998年9月号 | 高知駅開業に伴い、翌大正13年、はりまや橋が改修されて幅18mの橋と‥‥。 |
178 はりまや橋界隈(四) | 1998年8月号 | 幕末、竹林寺の僧純信とお馬との恋の道行きで、橋が一躍有名になった‥‥。 |
177 はりまや橋界隈(三) | 1998年7月号 | 竹林寺の空鏡上人は藩主の命を受け、高智山(高知のはじまり)と改名し‥‥。 |
176 はりまや橋界隈(二) | 1998年6月号 | 山内一豊は、領内に散在していた中世的な町を、下町方面に吸収して‥‥‥。 |
175 はりまや橋界隈(一) | 1998年5月号 | 慶長6年、土佐に入国した山内一豊は、浦戸城を放棄することを決意し‥‥‥。 |
174 菊間瓦と土佐 | 1998年4月号 | 愛媛県菊間町の菊間瓦が、土佐を代表する安芸瓦のルーツにつながって‥‥。 |
173 女医・お婉(えん)さん(二) | 1998年3月号 | 婉女は、朝倉の山野を歩きながら、本草学の学問を深め薬の調合に専念し‥‥。 |
172 女医・お婉(えん)さん(一) | 1998年2月号 | 兼山の娘婉女は、土佐郡朝倉村に住み、医を業とした生活を続けていた‥‥。 |
171 適塾と土佐(二) | 1997年12月号 | 緒方洪庵の適塾を支えた大戸郁蔵は、適塾に入ると洪庵と義兄弟となって‥‥。 |
170 適塾と土佐(一) | 1997年11月号 | 嘉永2年、ジェンナーの牛痘法が伝えられ、洪庵は11月に種痘を開始した‥‥。 |